潜在意識、深層心理/自殺はいけないという前に
愛知県瀬戸市で
美容師/美容室経営/店舗、個人事業主、フリーランス向けウェブ制作/心理相談/個人事業主、フリーランス専門の活動、経営相談/
の、活動をしている藤谷です。
人に限らず動物には原則として、生命の危機にさらされると生存本能が働き、なんとか生きながらえようとします。
人に限らず動物には原則として自ら命を絶つという行為は遺伝子にプログラムされていません。
少なくとも人以外の動物は自ら命を絶つ、という行動はとりません。
自ら命を絶つという行動をとるのは人だけです。(もしかしたら例外的に人以外にもそういう動物がいるかもしれませんが、そんなところをつつく意味がありません。)
本来、生存欲求が働くはずなのに死ぬ方に向かってしまうのはこころに異常をきたしてしまっています。
何故、自ら命を絶つのかと言えばほぼ「他との関係」にあります。
自殺という行為は人間社会が構築されてから起るようになりました。
いじめ、借金苦、仕事上の理由、裏切り、先の見えない不安、など人生に絶望して・・・
それより前のフェーズの「悩み」もそうです。
「悩みは全て人間関係にある」とアルフレッド・アドラーは述べています。(嫌われる勇気)
ここで、「何があっても自殺はいけない」と言ってしまうのは簡単です。
何があっても自殺はいけない、は確かに反論しようのない正論ですが
死んだ方がマシだと思えるほど辛いこと
死んだ方がマシだと思えるほどクソみたいな人生
死んだ方がマシだと思えるほど差別と同調圧力と支配層の独善に満ち溢れた世界
こんなことなら死んだ方がマシだ、と思うこと自体が果たして異常なことなのかどうか。
多少、感情を含めた意見ですが
私は、何があっても自殺は絶対ダメ、生きていれば必ずいいことがある、と本人の立場も事情も気持ちもわからないのに綺麗事のように軽々しく言い放つのには違和感を覚えます。
そういう人は想像力が少し欠けてます。
何があっても自殺はダメ
生きたくても生きられない人がいる
遺さた人達のことも考えて
周りに話を聞いてあげられる人はいなかったのか
決して間違ったことを言ってるのではありません
一方でこれらのセリフに中には本人の胸中を察する言葉が何も入ってない
自殺という「いけないことをした」本人及びその周囲の人間を事情を何も知らない外野が無意識に正義感から責めているのです。
ここには昨今のコロナ状況に伴って現れた自粛警察みたいなのと本質的に同じです。
私自身も詳細は割愛しますが、何をやっても上手くいかない、うだつがあがらない、そんな時代があって死にたいと思ったことなんて1度や2度ではありません。
実在は死にたいと思っても痛いとか苦しいことが嫌なので自殺する勇気がそもそもありませんでした。
ですが、夜眠るときにこのまま目が覚めなきゃいいのになと毎日考えていた若い時の私が確かにいました。
行動に移さないまでも自殺したくなる人の気持ちはわかるつもりです。
だからといって本当に死んでしまうのは非常にもったいないことです。
自殺するというのは悩みがエスカレートし過ぎてしてしまうことです。
大切なことなので繰り返しになりますが、悩みとは全て他者との人間関係によるものです。
何故、自分を悩ます他人ごときの為に自分の命を絶たなければならないのか
奇跡的に授かった命をいじめや差別や誹謗中傷や同調圧力をけしかけてくるゴミみたいな連中の為に投げ出すことなんかないのです。
自殺してしまうのは自分も他人も赦せない人です。
もっとわがままになって生きていいのです。
わがままになるかわりに、他人に迷惑をかけない、のではなく他人に迷惑をかけられても笑って赦せる人間になるのです。
それでも、死にたいと思う気持ち自体は私には否定はできません。
どうしても自殺を考えてしまうなら
昔、あなたの幸せを願ってオムツを変えてくれた人の顔を想像でもいいので思い浮かべてください。