人間社会はいつの時代も一緒
愛知県瀬戸市で
美容師/心理相談の活動をしている藤谷です。
最近
「怒りの葡萄(いかりのぶどう)」
という小説を読んでいました。
1930年代
世界大恐慌の影響をモロに受けていた時期の
アメリカが舞台で
農業のオートメーション化と
異常天候による土地の耕作不能がかさなり
小作人達が長年住んでた土地を追い出され
仕事を求めて彷徨うという内容です。
大量に巻かれた求人のチラシを頼りに
何とか、
というか命がけで現地にたどり着くものの
「定員オーバーなので時給はこんだけね」
と、ありえないような低賃金で
こき使われてしまいます。
今の日本で例えるなら
1日朝から夕方まで働いて
かろうじてコンビニ弁当1〜2人分が
買えるような日給
といったところでしょうか?
そしてそれを大家族で分け合うという感じ。
生きるためというか、飢えをしのぐため。
ブラック企業どころの話ではありません。
しかもこれアメリカの話です。
歴史でみたら割と最近の。
話の内容自体はあまり救われるとは
言い難いのですし
今現在にも通ずる人間社会の残酷な現実を
これでもかと突きつけてくる
ハードな内容です。
ですが、本編の一番最後に
流産したばかりの若い女性が
飢え死にしかけてる初老の男性に
本来生まれてくる赤ちゃんに
飲ませるはずだった乳をやる、
という描写が何かとても印象的でした。
翻って、今現在の日本(に限らないけど)。
1930年代のアメリカの小作農の人たちに
「起業して稼ぐ」なんて発想は
当然持つ術すらなかったと思いますが
(当時のアメリカの状況的に)
そこと比べると
今の日本ではやり方次第で成り上がれる可能性があるという意味で
何だかんだ言って恵まれているのでしょう。
もしかして、あくまでもしかして、ですけど
AI化が進んで仕事がなくなると言われる昨今
AIで補えるような単純労働しかできないと
1930年代のアメリカのように極端でなくても
あえてAIを導入せず
安い賃金で労働力を買い叩くみたいな
経営者が現れないとも限りません。
(考えようによっては単純労働しかできない人達に働く場所を提供してあげる素晴らしい経営者とも言えるかもですが)
最低賃金が〜とは言ったって
そんなものは偉い政治家の鶴の一声で
いくらでも操作されちゃいます泣
国や法律や勤め先が助けてくれる
などと考えずに
ホントの意味で食べていけるチカラを
身につけることを
真剣に考えてく段階に来てるかもです。